私の両親はいつも
唐突に大事な話を始める
いや
正しくには
食事中に唐突に話し始める。
今から6、7年前
仕事を終えて実家へ寄ったときのこと
私「ただいま」
母「お帰り、ご飯できてるわよ」
私「やったー、お腹すいてたんだよね。いただきます。」
母「鮎美、私ね、今日病院行ったの。ガンだったの」
私「えっ!」
その「えっ!」の中には、「今それ言うの!?」という戸惑いも含まれてました。
その後夕飯の味は、濃いとか、薄いしか分からなくなったことを覚えてます。
これが母
父の場合
職場が一緒だったことがあり
お昼に職場の女性も誘って3人で近所のカフェへランチへ出かけたことがありました。
そこは太陽の日差しが心地よく差し込む清潔な店内で
お昼を和やかに過ごすには最適の店でした。
運ばれてきたパスタも美味しくて
私「ここのパスタ美味しくなりましたね。」
職場の女性「そうねぇ、お昼どきだけど、今日はそんな混んでないからゆったりしてるし、いつもはマダムで一杯になるからねこのお店は」
父「鮎美、身内に不幸があったんだ」
私「えっ!」
その「えっ!」の中には、母のとき同様「今それ言うの!?」という戸惑いも含まれてました。
これが父
場所とシュチュエーションについて
考えると
一瞬父がボケたのかな、と不安を覚えたエピソードです。
その後のパスタの味は
無理矢理胃に突っ込んだので、しょっぱかったことしか覚えてません。
それぞれが家族の一大事に
突然遭遇する
人生はドラマではない
だから、突然起こる事件に
まず心が置いてきぼりをくらう
家族の一大事
私が伝える側なら、どうするだろう
やっぱり
食事中に、話してしまうのだろうか
この映画も、大事な話をするのに、母親が二人の娘を自宅へ呼び出し、父親と食事をさせるところから物語が進んでいきます。
先日、映画の試写会に当選したので、渋谷のユーロライブまで観に行きました。
映画のタイトルは『長いお別れ』
ジェーン・スーさんのラジオ「生活は踊る」の中で、スーさんと長峰アナウンサーのトークライブ付きの試写会応募があると知り、スーさんのトークライブが聞きたくて応募したところ、見事当選しました。
前情報から、父親が認知症になる話と聞いて、思いました。
「絶対、父とは観たくない」
その判断は間違えていませんでした。
結果、映画館で大号泣の私
あるシーンが父と重なりました。
隣に父がいたら、会場から走って逃げ出してましたわ。
トークイベントでは、実際に認知症がどのくらいの確率で発症するのかと、実際にスーさんがお父さんとお母さんの介護を同時進行で行った話(詳細はスーさんの著書『生きるとか死ぬとか父親とか』に掲載されてます)を、あのいつもの痛快な口調で話してくれて、重たい話のはずなのに、笑って聞いてしまいました。
「親が厳格なほど、病気で変わっていくさまを目の当たりにすると、その反動がでかくて家族が受けるダメージは大きいかも」
たしかそんな感じのことも話されてました。
少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく―その様子からアメリカでは「Long Goodbye(長いお別れ)」とも表現される病、認知症。近い将来65歳以上の1/5が発症するという(出展:厚生労働省)
決して人ごとではないその病
映画では、7年間はあっという間でしたが、実際はそんなもんじゃないだろうと
綺麗なエピソードなんてほんの一握りに過ぎないだろうけど
この映画を見て、そんな日常でも愛おしく過ごせるのではないか
そんな勇気をもらって、映画館を後にしました。
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